手術の学び方・教え方には段階がある。守破離のように単純な三段階ではなく、その中に無数のステップが存在する。そしてそれに対応する評価軸もまた、本来は同じだけ多様でなければならない。術前・術中・術後、さらに患者対応や意思決定まで含めれば、その広がりはなおさらである。
しかし実際の教育は、教える側の学び方に強く依存する。人は自分の成功体験を基準に他者を評価してしまうからだ。だからこそ教育には細心の注意が必要になる。
医療の場合はとくに、教育で最も大切にしているのは患者安全である。手術の技術論よりも何よりもまず、「後遺症を残さない」という絶対条件であり、ここに到達していない者に執刀の資格はない。
問題は、この絶対条件に到達するための準備と努力の質と量である。時間的制約がある中で、従来と同じ学び方が成立しにくくなっているのは事実だ。一方で、現場に身を置き続けることでしか得られない学習も確実に存在する。このギャップをどう埋めるかが、現在の外科教育の本質的な課題だと思う。
そんな中で印象的な出来事があった。すでに一人前の頭蓋底外科医として活躍している後輩が、手術中のディスカッションでこう言った。
「それ、教えてもらっていません」
技術的には到達している彼との間に、切除ラインの認識のズレがあった。その一言で、自分の教育の限界を突きつけられた気がした。
振り返れば、自分自身も師匠から学んだのは初期の数年で、それ以降はほとんど自分で道を切り拓いてきた。既存のやり方を疑い、変え続ける中で、むしろ周囲と距離ができたこともある。だから今の自分にとっての師匠は患者だ。患者からしか学べないことがあるし、それを今でも求めている。
この前提に立つと、「すべてを教える」という発想自体に限界がある。最終的に必要なのは、自分で学び続ける力、つまり自走である。
では教育者として何ができるのか。
結局のところ、背中で示し続けるしかないと思っている。考え方、判断、姿勢を言語化しながらも、最終的には行動で見せる。そして学習者がそこから何かを掴み取る。その過程で、こちらもまた学ばされる。
教育とは一方向ではなく、相互作用だ。
自分のチームの後輩たちにも、いずれは患者から学び、自走する外科医になってほしいと思っている。
ただ――
まだ少し時間はかかりそうだ。